カイトを引き連れてエルヴァが向かったのは、王宮の左翼に当たる棟の最奥に位置する地下への入り口だった。 地下への入り口に立っていた守衛の男から、灯されたランタンを受け取って地下へと続く階段を下りるエルヴァに、カイトは無言で付き従った。 地下には一つだけ扉があり、エルヴァは真っ黒な鉄で補強された異様に頑丈そうな扉をあっさり開けると、振り返ってカイトに声をかけた。「ここは禁書庫だよ」 ランタンを軽く掲げたエルヴァは苦笑いを浮かべていた。「僕は暗いところが苦手でね。さっさと済ますとしよう」「あ、はい。禁書庫、ですか……」 禁書庫という響きに微かな興奮を覚えたカイトは、ランタンの灯りだけを頼りに禁書庫だという狭い空間に目を凝らした。 狭く空気の籠もった禁書庫の中には、これも必要以上に頑丈な造りが見て取れる大振りな四架の書架だけが整然と並んでいる。 迷いのない挙動で奥の書架に近付いたエルヴァは、「とりあえず一冊でいいかな」 とカイトが聞き取れる程度の声で言いながら一冊の書物を手に取った。「え? 持ち出すんですか? 禁書、なんですよね?」 カイトは驚きを疑問に含めたが、それに答えるエルヴァの口調はいたって軽いものだった。「ああ、問題ないよ、僕は自由に使っていいってことになってるから」 エルヴァは「はい、これ」と気楽な調子で、分厚い革表紙の禁書をカイトに手渡した。 ざらりとした手触りの革表紙が妙にひんやりとしているのを感じながら、カイトが手渡された禁書を胸に抱える。「よし、出よう。暗くて狭い場所は僕のテリトリーじゃない」 嫌気を滲ませてツカツカと禁書庫を出るエルヴァの後に続き、カイトも禁書庫を出て足下の暗い階段を上った。 禁書庫を後にした二人は、王宮の左翼に当たる同じ棟の中央付近に位置する部屋へ移動した。 中庭に面した部屋の窓のサイズが、地球の十九世紀末とほぼ同程度だという時代には有り得ないほど大型で、その採光によって白を基調とした部屋は禁書庫と対極にあるように明るかった。「僕の執務室ってことになってる。まあ、ほとんど使ってないけどね。あ、本はそこに置いて」 エルヴァが部屋の中央に置かれた天板が分厚い机を指差したので、カイトは言われたとおりに禁書を机の上に置いた。「さて、早速だけど、この本はね」 軽い口調のまま禁書の革表紙に手を置
「今のところ僕とシーマ卿だけが使えるってことになってる無属性魔法ってのは、他の属性と違って召喚魔法に特化してるんだよ」 微笑を浮かべるエルヴァは、魔法について説明するというよりゲームの遊び方について教えるといった口調で、放出するオーラから新たに無属性魔法を行使する可能性を見出したカイトへのレクチャーを始めた。「召喚、魔法……」 ファンタジーを題材とするアニメやゲームで見た召喚魔法の派手な演出を思い浮かべたカイトは、オウム返しに単語だけをぽつりと漏らした自分に気付き、慌てて質問を口にした。「その召喚魔法っていうのは、俺をこの世界に転移させた召喚術式とは別物なんですね?」 カイトの質問に対し、エルヴァはコクッと軽くうなずいてみせた。「召喚って同じ言葉を使ってるからややこしいけど、まったく別の系統だね。召喚術式は魔法ですらないし。で、その召喚魔法なんだけど、無属性以外の属性でも行使が出来る召喚魔法はある。ただ、火や土なんかの属性で召喚できる召喚獣ってそれぞれの属性でせいぜい十二、三種類ってとこ。僕たちが使う無属性は召喚魔法に特化してるだけあって、その種類は段違いに多い。天使シリーズが十五種、ギリシアシリーズが二十四種。合わせて三十九種が現時点で確認できてる」 エルヴァが付け加えるように言った「現時点で確認」という部分にカイトは反応した。「現時点で確認できているってことは、未確認のものが存在する可能性もあるってことですか?」 カイトの問いに対して、及第点を与える教師のように「うん」とエルヴァが首肯する。「その点では他の属性も同じなんだけど、魔法っていうのは言い換えれば「呼応する技術」でね。呼応の対象は四大元素だけじゃなくて神性も含んでる。神性を産み出す土壌となる世界は広い上に歴史も深い。探せば未知の召喚獣はいるだろうし、現に未知の召喚獣を求めて研究に没頭するってタイプの魔道士もいる。まあ、世の中が平和になれば魔道士は研究者にもなれるんだろうけど、今は忙しいから研究に時間を費やせる魔道士は少ないけどね」 エルヴァがぼやかした背景に、カイトは敢えて言及してみることにした。「戦争、ですか……?」「いやな時代だよ、まったくね。「戦争が研究を後押しする側面もある」なんてほざく奴もいるけど、僕は嫌いだ」「はい。俺も戦争を肯定的に捉える意見は嫌いです」 目
「その魔力の量だけでランク、位階は決まるんですか?」 カイトが率直な疑問を口にすると、エルヴァは軽いうなずきを返してから答えた。「そうなんだよね。魔道士の強さは魔力の量だけで決まるほど単純ってわけじゃ当然ないけど、魔力量が重要な要素っていうか強さのベースになっちゃうってのは、どうしてもあるから」「修行というか、訓練とか鍛錬みたいな方法で、魔力の量を増やすことは可能なんですか?」 間を置かずに質問したカイトのテンポに合わせるように、エルヴァもすぐに答えを返した。「ああ、それは無理なんだ。魔力の量って、魔道士としての血が顕現したときに決まってるんだよ。顕現度合とか魔道士としての血の濃さ、なんて言い方もするんだけど。大抵は四歳前後で表れる魔道顕現発達の時点で位階はほぼ決まっちゃって、ある程度は魔道士としての強さも決まっちゃうってこと。その魔力量を正確に測れるのが、ウァティカヌス聖皇国の聖皇なんで、通例として魔道士は十四歳までに聖皇に拝謁する。その拝謁で聖皇が魔力量に応じた位階の叙位と、その子が従三位以上なら称号の授与もセットでやっちゃう。言っちゃえば、まだ子供の頃に決まったランクを一生背負って生きるのが魔道士ってわけ」 生まれ持った才能で一生が左右される世界。カイトは率直に嫌な世界の形だと思った。「なんだか残酷な気もするんですが……」 カイトが感じた嫌な印象を口調に含めると、エルヴァはそれを肯定するようにうなずいた。「そうかもね。ただし、だ。魔道士の強さは魔力量だけで決まらないってのも事実だよ。上位の称号持ちが下位の魔道士に敗れるってのは珍しいことじゃない。実際の戦場だと、上位の称号持ちは地位も高いってのが相場だから、真っ先に狙われるって傾向もあったりするし」「戦い方次第ってことですか」「うん。たとえば土属性のベヒモスとか、水属性のレヴィアタンなんて有名どころの召喚獣は、四十ちょっとの魔力消費で召喚できるのに結構強い。上手く使えば上位の魔道士に対抗できる召喚獣とも言える。あとは、火属性のコーザサタニとかプグヌス・フランマエみたいに、術者がその身体を武器としちゃって直接的に攻撃するタイプの魔法も、究めれば有効なのに消費する魔力は少なくて済む。魔力量それ自体は変えられないけど、戦闘の練度は変えられるからね……さて、話がちょっと逸れたかな」 エルヴァが
「僕はちょっと手配してくるから、カイト君はその本でも読んで待っててくれるかな」 エルヴァの指示に従うことは、無自覚ながら既にカイトにとって自然な反応となっていた。「はい。分かりました」 カイトは自然な反応として素直にうなずいた。 エルヴァが軽い足取りで執務室を出て行くと、未だ夏の気配を残す白昼の日差しが射し込む明るい執務室に一人残されたカイトは、エルヴァの指示に従っていると自覚することもなく禁書を手に取ってページをめくった。 アルケーの次は、エクスシーアという天使が記されたページだった。 黄金色の甲冑に緋色のマントを身に纏い、背中には白い翼。その姿を伝える細密な具象画を見て、カイトは勇ましい姿の天使だと思った。 アルケーの時と同じように、エクスシーアを説明する文が脳にじわりと染み込んでいくような感覚があった。 ゾーンに入ったときの勉強、集中して暗記科目を勉強している時の感覚に近いが、さらに速く深く染み込んでいく感覚は不思議とカイトにとって気分がよいものだった。 エクスシーアの次は、デュナメイスという天使が記されたページだった。 金色の甲冑を身に纏い背中には大きな白い翼。長い槍を持っている。 デュナメイスのページもすらすらと読み終えて、カイトはページをめくった。 デュナメイスの次は、キュリオテテスという天使が記されたページだった。 漆黒のローブを身に纏い、左手に王笏……というより魔法少女が持つ魔法ステッキに近いとカイトが思った杖を持っている。 背中に白い翼があるのはアルケー、エクスシーア、デュナメイスと同様だったが、甲冑ではなくローブを身に纏っていることもあって、どこか兵士の印象を含んでいる今までの天使とは毛色が変わったようにカイトは感じた。 キュリオテテスを説明する文もすんなり読み終えたカイトが、次のページをめくろうとしたとき執務室にエルヴァが戻ってきた。「お待たせ。じゃあ、行こうか。禁書は持ってきて」「はい」 素直に応じたカイトは禁書を左手に持ち、エルヴァと一緒に執務室を出た。 王宮の左翼に当たる棟から出ると、馬車なら五輛が並んでも余裕がある広い車寄せに、屋根付きの豪奢な二頭立ての四輪馬車とエルヴァの秘書だという初老の男性が待機していた。 カイトとエルヴァを乗せた馬車は、王都プログレの目抜き通りを優雅に進んだ。 馬車の乗
「よし。あっさり召喚できたね。きみは筋がいい。アルケーは見ての通り白兵戦向けの天使だ。僕も召喚するから、ちょっとした手合わせでもしてみよう。実際に動かしたほうが説明するより早いだろうしね。エクスシーア」 エルヴァは語尾に何気ない調子で「エクスシーア」と付け加えただけで、エクスシーアの召喚を行使してみせた。 黄金色に輝く甲冑を装着したエクスシーアは、左肩にだけ掛ける肩掛けのペリースと呼ばれる緋色のマントを身に着けていた。背中にはアルケーと同様の白い翼をもっている。 エルヴァが召喚したエクスシーアを前にしたカイトの目には、自分が召喚したアルケーよりも格段にランクが高い天使のように見えた。 禁書に記載された順ではアルケーの次のページがエクスシーアだったはずと記憶を辿りながら、ランクが一つ違えばその差は思ったよりも大きいんだろうとカイトは推測した。「頭の中でアルケーを動かすイメージを浮かべれば、それに連動してアルケーは動くよ。慣れちゃえば自分の手足の延長みたいに操作できる。とりあえず動かしてみよう」 カイトは「はい」と短く応じると、エルヴァから言われた通りにアルケーが動くイメージを頭に浮かべてみた。 するとカイトがイメージした通りに、アルケーは右手に握った長剣を一振りしてからエクスシーアに対して中段に構えた。 エルヴァが言っていた操作するという感覚を、初動で掴みかけたカイトは面白い感覚だと思った。 カイトがアルケーを動かし、長剣の切っ先をエクスシーアに向けて構えさせたのを見たエルヴァは満足げにうなずいてみせた。「いいね。きみは飲み込みも早いようだ。じゃあ、次はアルケーを操作してエクスシーアに攻撃してみようか」 エルヴァの指示を聞いたカイトは、ゲームのチュートリアルみたいなものだと指示の趣旨を理解した。「分かりました。やってみます」 リモコンで操作するロボットだと思えばそれほど難しいことじゃないと考えたカイトは、思いのほかスムーズにアルケーをスタートダッシュさせてみせた。 カイトが操作するアルケーは、中段に構えていた長剣を上段に構え直すと駆ける勢いのままエクスシーアに斬り掛かった。 なめらかなファーストアタックで先を取ったかに見えたアルケーの一振りを、エクスシーアは最小限の動きで躱すや反撃に移るモーションをカイトの目では捉えられない速さで完了さ
無属性魔法の召喚に関する一通りの説明を終えて、カイトと一緒に馬車へ乗り込んだエルヴァは気楽な口調のまま次の予定を口にした。「帰る前に、ちょっと寄り道するよ」「寄り道? ですか?」「うん、寄り道。テーラーで採寸しちゃおう。軍服のね。魔道士には必需だからさ。今頃、店主が慌てて準備してるんじゃないかな」 軍服と聞いたカイトはあらためてエルヴァの服装に目をやった。 エルヴァは燕尾服やタキシードといった礼装の原形となった黒のフロックコートを着ていた。 カイトの視線に気付いたエルヴァは微笑みを微笑む。「僕は軍服が嫌いなんでコートで外出することが多いけど、通例としては魔道士が人前に出るときには軍服を着るってことになってる。僕は例外。そもそも筆頭魔道士団の顧問ってのが例外的だからね」「そうなんですね……軍服、ですか……」「きみも軍服が嫌いだったりする?」「いえ、好きとか嫌い以前に、軍服なんて着たことがないので」「そっか。まあ、すぐに慣れるさ。きみが着てる服は、きみがいた世界で一般的なもの?」 エルヴァに服装のことを訊かれて、カイトは自分が全身ユニシロというファストファッションコーデであることを思い出した。「そうですね。ごく一般的な服装です」「簡素で動きやすそうだけど、これからきみが立つことになる場所だと、ちょっと簡素すぎるかもね。ちょうどいいから紳士服店にも寄って既製服も見繕おうか。下着なんかも用意しなくちゃだし」「はい。お願いします」 エルヴァの指摘はもっともだと感じたカイトは素直にうなずいた。 自分の服装はどうにもこの世界、特に接する人物たちが王侯貴族という社会では浮いていると感じていたカイトにとっては、渡りに船な展開でもあった。 カイトとエルヴァを乗せた馬車は、王都プログレの目抜き通りに面するテーラーの前で停まった。 王室御用達の看板を掲げた二階建てのテーラーだった。 高級感が漂う店内の空気にかすかな緊張を覚えるカイトとは対照的に、エルヴァはくつろいだ様子だった。 カイトの採寸は店主が自ら行った。職人ならではの店主の見事な手さばきに接したカイトが感心しているうちに採寸は済んでいた。 テーラーを出たカイトとエルヴァが次に訪れた同じ目抜き通り沿いに店を構える紳士服店も、王室御用達の看板を掲げていた。 紳士服店に先回りしたエルヴァの
「ありがとうございます……エルヴァ卿の弟子として恥ずかしくない魔道士になれるよう、頑張ります」 カイトは決意を口にしながら「定型文っぽい返事になってしまった」と思ったが、エルヴァはにんまりと笑みを浮かべてカイトの言葉を受け取った。「うん。素直でよろしい。僕の提案には素直に応じると決めるまでの判断の早さも合格だ。で、もう一つ提案なんだけどね。きみの今晩からの寝所なんだけど、当面は僕の屋敷にしない? 魔法もそうだけど魔道士って立場が特殊だから、把握しておかないと問題になっちゃう慣習とか作法が色々とあってね。特に戦場に立ったとき国家の意向を背負う全権代理人として扱われる筆頭魔道士団に所属する魔道士は、ウァティカヌス法って魔道士に関する国際法も把握しとかなきゃいけない。とまあ、きみに教えとくことってけっこう多いからさ。近くにいれば何かと無駄がなくていいかなって思うんだけど、どうかな?」 エルヴァは自分の屋敷にカイトを招く提案に至った理由をすらすらと説明した。 拒否する理由がないと即断したカイトはすぐに首肯して応じた。「はい。お言葉に甘えて、お世話になります」「よし、決まりだね。これからきみの叙任式典までは忙しくなるよ。まあ、重要な立場に立つことがもう決まってるきみに早い段階で取り入りたいとか考える貴族やら政治家なんかは、僕と一緒にいれば近付けないから安心して屋敷でくつろぐといい」「はい。ありがとうございます。そうさせてもらいます」 素直にうなずくカイトの反応を見て、満足の表情を浮かべたエルヴァは、「じゃあ、帰ろう」 と馬車の発進を秘書に合図した。 カイトとエルヴァを乗せた馬車は、十五分ほどで王宮と目抜き通りのほぼ中間に位置するエルヴァの屋敷の車寄せに入った。 バトラーとハウスキーパー、そして三人のメイドが、主人であるエルヴァと客人のカイトを出迎えた。 使用人を管理するバトラーは落ち着いた笑顔を浮かべる壮年だった。ハウスキーパーはやわらかな笑顔を浮かべる中年の女性。メイドは三人とも若い女性だった。「僕は使用人が多いのは苦手でね。あとはコックが二人いて、それで全員かな」「あ、はい……」 カイトが微かに戸惑った反応をみせたので、エルヴァは軽く問い掛けた。「どうかした?」「いえ……俺がいた世界、というか国、っていうか時代だと使用人の方と接する機
エルヴァの屋敷はカイトの想像をはるかに超えて広かった。 カイトにあてがわれた部屋も二十畳ほどの寝室としては広いもので、白を基調とした明るい部屋には先ほど紳士服店で買った部屋着や下着などの荷物がすでに運び込まれていた。 夕食までの自由な時間を得たカイトは、窓際に小振りなティーテーブルを挟むように置かれた椅子に腰掛けると「他にすることもないし」と気楽な動機で禁書を開いた。 カイトにとって禁書に目を通す行為は、召喚魔法の知識を得るためというよりも娯楽小説をめくる感覚に近かった。 窓から射し込む光が柔らかい暖色に変化したことで、日が落ちるんだと気付いたカイトは部屋に備え付けられたランプを灯した。 蛍光灯やLEDといった電気照明以外に触れることがほとんど無かったカイトにとっては、新鮮でありながらも仄暗い夜が始まった。 携帯式のランタンで足下を照らしながらカイトの部屋を訪れたメイドが夕食を報せるまで、カイトは目が慣れてしまえば文字を追うことにストレスのないランプの灯りを頼りに禁書を読み進めた。 メイドの案内に従いカイトが食堂に入ると、十人が席についても余裕がありそうなテーブルの両端には四台の大きな燭台が置かれ、合わせると二十本のろうそくが灯っていた。 随分とムードのある食卓だとカイトは思いながら席に着いた。 カイトに少し遅れて食堂に入ったエルヴァは、目抜き通りでのショッピングを終えて屋敷へ戻った際に出迎えた三人のメイドとは別のメイドを連れていた。 エルヴァは席に着くと、カイトにとっては初対面となるメイドの紹介を始めた。「まずカイト君に紹介しておこう。きみに付いて身の回りの世話を担当するメイドのストーリア。今日からこの屋敷へ入ることになった新人君だ。きみと同い年の二十歳らしいから気兼ねもいらないんじゃないかな」 エルヴァに紹介されたストーリアは、カイトに向かって深々と頭を下げてから自分の名前を口にした。「ストーリア・カストリオタと申します。これより身の回りのことは何なりとお申し付けください」 小柄なストーリアは白い肌を引き立てる赤褐色の髪をショートボブにしていた。 ベルエポックとも呼ばれる華やかな時代背景を反映するように、この異世界に来てからカイトが目にした女性はヘアメイクが際立つ長い髪の女性がほとんどだった。 顎のラインに沿うようなショートボ
アルテッツァとセリカの二人と初めての会話を交わすカイトとの間に流れる空気が、打ち解けたものとなったタイミングを見計らうようにトワゾンドール魔道士団の第十席次を示すマントを纏うノンノと、同じく第十一席次を示すマントを纏うピリカが三人へと近寄った。「カイト卿への挨拶は済んだ?」 ノンノはフランクに親しさを含んだ調子でアルテッツァへ問い掛けた。「ああ、つつがなく済んだよ」 アルテッツァが輝く笑顔を向けて答えると、向けられた笑顔に反応してノンノは返した。「相も変わらず、女を惹き付ける笑顔なんだから。もったいないよね、まったくもう」 小柄なノンノが長身のアルテッツァを見上げるようにして言うと、アルテッツァは対応に慣れた様子で微苦笑を浮かべてみせた。「もったいない?」 カイトが小首を傾げながらノンノの言葉に疑問を向けると、ノンノは平然とその理由を言ってのけた。「これだけの美形で性格も良くて、おまけに家柄も能力に見合った地位も揃ってるってのに、女には興味がないんだよ。アルテッツァもセリカもね」 ノンノがサラッと口にした意外な理由に対して思わず「え?」と声を漏らしたカイトに、アルテッツァは微笑を浮かべながら説明を加えた。「私のパートナーは、公私ともにセリカなんです」「そうなんですか。信頼できるパートナーといつも一緒にいられるって素敵ですね」 カイトは穏やかな笑みを浮かべるアルテッツァにつられるように、微笑みを返しながら感想を口にした。「ありがとうございます。私の時間はセリカがいてくれるおかげで充足しています」 アルテッツァが輝く笑顔をみせながら答える。 ノンノが展開を次へ進める合図代わりにピョンと跳ねて、カイトの前に着地する。「カイト卿は、女性はお好き?」「うん……好きだよ」「お、素直でいいね。ピリカ、チャンスだよ!」 ニカッと笑ったノンノが振り返ってピリカに視線を送る。 ピリカが「ノンノ!」とたしなめる声を上げるのに合わせて、カイトが「でもね」とノンノに声をかけた。 声に反応したノンノが振り返ると、カイトは微苦笑を浮かべながら自分の性格を打ち明けた。「俺は女性に対して積極的なタイプじゃないんだ」「そうなの? もったいないなあ。選り取り見取りの立場なのに」 会話の中心にいるノンノの耳に「ノンノ卿……!」というレビンの落ち着いてい
レザレクション大聖堂で執り行われたカイトの叙任式典が滞りなく済んだ後、カイトを初めとする式典の参列者たちは祝宴の会場となるブレビス離宮へと移動した。 ブレビス離宮はミズガルズ王国の王太子が代々東宮としていた宮殿を、現在の女王セルリアンの先代に当たるプラド国王が男子を残すことなく崩御したことで迎賓館として利用されるようになった宮殿で、レザレクション大聖堂から馬車で十数分の位置にあった。 ブレビス離宮の周囲には魔道士ではない一般の兵士が警備のために配置され、王太子の宮城として設計された離宮の周辺には人々が集まれるような広場などは無いこともあって一帯は静かな空気に包まれていた。 祝宴の参列者は主賓であるカイト。トワゾンドール魔道士団のメンバーで式典に参列した六名と、顧問であるエルヴァ。女王セルリアンとその王配ケンゾー。王太子タンドラとその妃であるディアナ。宰相セルシオと枢密院議長マジェスタを始めとするミズガルズ王国の首脳陣。御三家と呼ばれるジウジアーロ家、ファリーナ家、ガンディーニ家を始めとする一部の有力貴族……という少数に限られていた。 祝宴は正式な午餐会ではなく、立食形式がとられた。 数百人を収容できる規模の会場となった「羽衣の間」には奥に大きなステージが設置され、数十の円卓が並んでいた。円卓には彩り鮮やかな料理が並べられ、それぞれの円卓を担当する数十人のウエイターが配置についていた。 セルリアンとケンゾー、そして主賓のカイトがステージへと上がり、カイトの魔道士叙任と筆頭魔道士団の首席魔道士への就任を祝う祝宴は始まった。 乾杯に先立ち、セルリアンが短くスピーチした。「カイト卿の加入によって、戦地において我が国を代表する筆頭魔道士団、トワゾンドール魔道士団の首席魔道士が不在という事態が解消されました。これはミズガルズ王国にとって、この上なく喜ばしいことです。昨今のテルスは予断を許さない情勢が続いています。カイト卿はミズガルズの地にもたらされた光明。その希望を祝うことができる今宵の席を、わたくしは忘れることが無いでしょう。本日は形式ばった午餐会ではありません。参列の皆には本日、この宴を存分に楽しんでもらいたく思います」 参列者全員がシャンパンの注がれたグラスを持ち、乾杯の挨拶はセルシオが行った。「女王陛下、ご列席の皆様。本日ここにカイト卿の叙任と首
カイトが群衆の歓声を背に受けながら普段は閉ざされている正面中央扉口からレザレクション大聖堂の中へ入ると、身廊の入り口付近で待っていたノンノがカイトに向かって軽く右手を挙げてみせた。 屈託のない明るい笑みを浮かべるノンノの隣には、穏やかに微笑むピリカの姿もあった。 カイトがノンノの合図に応じて近付くと、ノンノはトーンが高く軽い印象を持った声で名乗った。「あたしは、ノンノ。あなたがカイト卿なんだね」 ノンノはニカッと歯を見せる笑みを浮かべながら、カイトへ右手を差し出した。「はじめまして。ノンノ卿。カイトです」 握手に応じたカイトは小柄なノンノの右手が想像よりもさらに一回りは小さいことに驚いたが、それを顔には出さないように努めた。「あたしのことは、ノンノって呼び捨てでいいよ。敬語もいらない」 ノンノが持つ愛らしい雰囲気と裏を感じさせない口振りに触れ、すぐに好感を抱いたカイトは素直に応じた。「……分かった。ノンノ、これからよろしくね」「うん!」 ノンノは明るい笑みを浮かべたまま、コクリと大きくうなずいた。「ピリカと申します」 ノンノの隣に立つピリカが、カイトに向けて深々と頭を下げる。 フランクで距離の近いノンノとは対照的に、耳にやさしく届くハスキーボイスで名乗ったピリカは落ち着いた物腰だった。 ぷっと吹き出したノンノが、告げ口する口調でカイトにピリカを紹介した。「ピリカはマジメなふりが上手いけど、エッチなことにはすっごい積極的だから気をつけてね」「ノンノ! 初対面の、それも首席魔道士になるカイト卿の前で、なに言ってるの!」 ピリカが慌ててノンノをたしなめるが、ノンノは全く悪びれる様子もなかった。「そんなのどうせ、すぐにばれるんだから、早いほうがいいじゃん」 ノンノとピリカのやり取りを微笑ましいと感じたカイトは「もう少し見ていたい」とも思ったが、これから叙任の儀式と宣誓が始まるというタイミングの今は、ピリカに助け船を出して会話を抑えておこうと判断した。「えっと……はじめまして、ピリカ卿。カイトです。よろしくお願いします」 カイトが右手を差し出すと、ピリカは微笑みを返して握手に応じた。 ノンノよりもわずかに背が高いほどで小柄なピリカの手は、小さくはあったがカイトにとっては「しなやかな手」という印象の方が強かった。 先に身廊
聖暦一八八九年十月一日。 カイトが正式に魔道士として叙任するための「宣誓の儀式」が執り行われるレザレクション大聖堂の周囲には、晴天に恵まれたこともあり朝早くから多くの人々が詰めかけていた。 続々ときらびやかに装飾された二頭立ての四輪馬車が、レザレクション大聖堂の正面に広がる大きな広場の奥に位置する車寄せへと乗り入れた。 ミズガルズ王国の筆頭魔道士団であるトワゾンドール魔道士団に属する魔道士たちが、豪奢な馬車から降り立つ度に群衆から歓声が上がった。「レビン卿とステラ卿のお二人だ!」「いやあ、拝見する度に美しさが増しておられるねえ……」 レビンとステラが馬車から降りると、男性たちの視線は瑞々しい魅力を放つ二人の女性魔道士へと吸い寄せられた。 百七十二センチと女性としては長身であるレビンの、意志の強さを表わすように輝く黒い瞳が群衆に向けられると男たちがざわめき立った。 濡れ羽色のストレートで長い髪が、すらりと伸びた手足を包む純白の軍服と相まって端整な美しさを放つレビンの姿は、十八歳にして魔道士の威厳すら併せ持っていた。 レビンの横に立つステラも百六十五センチと女性としては高めの身長で、亜麻色の髪をショートボブにしている。 理知的な印象を与える銀縁の眼鏡の奥の瞳は琥珀色で、落ち着いた微笑を浮かべてみせる二十歳だった。 軍服を着ていても男たちの目を引く大きく張り出した胸のふくらみと見事なヒップラインが、肉感的な魅力でもって男を魅了していることもステラは自覚していた。 レビンとステラは余裕の笑みを浮かべながら、群衆の歓声に応じて軽く挙げた手を振りながら大聖堂へと入っていった。「あっ! アルテッツァ卿とセリカ卿のお出ましよ!」「ああ、もう……なんて見目麗しいの……」 アルテッツァとセリカが馬車から降りると、打って変わって女性たちの注目が眉目秀麗を絵に描いたような二人の男性魔道士に集まった。 艶めく金髪に翠玉の如き碧眼、鼻梁がすらっと通った欠点の見当たらない美丈夫である二十四歳のアルテッツァと、光沢を含んだ微かに淡い金髪に力強い眼光を放つ碧眼を有する二十二歳のセリカが並んで歩く姿は、女性たちの熱い視線を強く惹き付けた。 百八十七センチのアルテッツァと百九十センチのセリカが身に纏うと、トワゾンドール魔道士団の威光を示す純白の軍服は秋の澄んだ空気の
ケンゾーが治癒魔法による治療の拠点としている王宮内の病院に、カイトが通うようになってから一週間が経過した九月二十四日の昼過ぎ。 工事現場での事故によって重傷を負った患者の治療を、カイトが一人で滞りなく済ませる姿を見届けたケンゾーは、ふうと一息つく様子を見せるカイトに声をかけた。「少し、休憩しようか」 ケンゾーとカイトは連れ立ってケンゾーの書斎に入った。 カイトが王宮病院に訪れた際にはくっついて回るマヤの姿もあった。 治癒魔法の習得に励み、次々と患者を治療するカイトにマヤはすっかり懐いていた。 カイトが治療している間は邪魔にならないよう距離を置いて見ているマヤは、治療に区切りを付けてカイトが休憩する素振りを見せると駆け寄って、ぴったりとそばを離れようとはしなかった。「ダイキも早かったけど、カイトはそれ以上に慣れるのが早いね」「ありがとうございます。でも、おじいさんの教え方が分かりやすいおかげだと思います。体系がシンプルに立っていて理解しやすいですから」「まあ、他の属性とは違って治癒魔法は用途がそもそもシンプルだからね。俺はナーガから下賜されたものをなぞっているだけと言ったほうが近いよ」「下賜ってことは直接、治癒魔法の内容をドラゴンから聞いたってことですか?」「うーん、直接的、とでも言おうか……夢を介していたからね」「夢、ですか?」 カイトがオウム返しに「夢」を強調して訊くと、ケンゾーはゆったりとうなずいてみせた。「そうなんだ。俺がテルスに来てすぐ、三日が過ぎた夜の夢にナーガが現れた。白昼夢に似たその夢の中で、俺はナーガから治癒魔法についての一通りを教えられたんだ」「直に、現実で会ったことは無いんですか?」「ないよ。他の大陸にいるドラゴンに関しては定かじゃないけど、ミズガルズ王国でナーガに直接会ってるのはセルリアンだけだね。カイトは会ってみたいのかい? ナーガに直接」 ケンゾーの問い掛けに対して、思案する表情を浮かべたカイトは一呼吸置いてから答えた。「会って聞いてみたいことはあります。でも、今はまず目の前のこと、治癒魔法と無属性魔法の習得を優先します」「賢明な判断だな。本当に俺の孫としては出来過ぎだ」 ケンゾーが満足そうに微笑むと、静かに二人の会話に入るタイミングを探っていたマヤが、白い陶器のコップに注いだ水をカイトに差し出し
カイトは軍服が届いた翌日の火曜日、九月十七日から魔法や魔道士としての基本的な作法などをエルヴァから教わることに並行して、王宮病院で実際に治癒魔法を行使して患者の治療にあたっているケンゾーとともに、実際に治癒魔法による治療を経験しながら治癒魔法を習得することにした。 カイトから治癒魔法も早めに習得しておきたいという意向を聞いたエルヴァは「それはいいね」と二つ返事で了承した。 ケンゾーもカイトの申し出を喜んで快諾した。 叙任式典の前であることを考慮して、カイトは軍服ではなくフロックコートを着て王宮病院へ通うことにした。 王宮病院の医師や看護師といった関係者とその患者には、カイトに関する箝口令が敷かれた。 実際に治癒魔法を行使する治療に先立って、ケンゾーは王宮病院内にある書斎でカイトに治癒魔法についての説明を始めた。「治癒魔法は軽傷を治療するクラティオ、重傷を治療するクラティダ、致命傷すら治療できるクラティガの三つに分類してるけど、それは治療に必要となった魔力量の差でしかない。裂傷や骨折といった負傷箇所をトレースして完治するまでのイメージを浮かべ、魔力によって完治のイメージを患部へ伝えるという一連の流れは同じなんだよ」 意外に単純な分類だと感じたカイトは、それを隠さず口にした。「それぞれ別の魔法ってわけじゃないんですね……その魔力ってどれぐらい使うものなんですか?」「四属性魔法や無属性魔法で用いられる魔力の数値化に合わせるなら、一から三の魔力消費で済む時はクラティオ、四から七で済むのがクラティダ、八以上の消費を要する場合をクラティガと呼んでる。それぞれの呼び方を発声する詠唱は、意識を集中するための呼称でしかないんだ。致命傷では使う魔力が十二ぐらいに達する場合もあるね」「使った魔力は他の属性魔法と同じように、自然に回復するんですか?」「うん。仮に魔力を使い切ったとしても、約一日でほぼ戻るよ。魔力が自然回復する早さも魔道士によって差があるけどね」「魔力を回復するアイテムなんかは、この世界にはないんですよね?」 カイトの質問を聞いたケンゾーが驚きを示すように目を丸くしてみせる。「それは面白い発想だね。残念だけど、そんな便利なアイテムがあるって話は聞いたことがない。あれば便利なんだけどなあ……」「そうなると……戦場で治癒魔法を使う場合は、慎重に使
テルスと呼称される異世界にカイトが召喚された聖暦一八八九年九月十一日から、ミズガルズ王国の宰相であるセルシオはその対応に追われた。 セルシオは女王の諮問機関である枢密院の議長を務めるマジェスタと連絡を密にしながら、カイトへのサイオン公爵位の叙爵を略式として断行することで異例の早さで済ませた。 マルチタスクで政治的な処理を片付けてしまう豪腕をもって宰相まで上り詰めたセルシオは、カイトの魔道士への叙任及びミズガルズ王国の筆頭魔道士団であるトワゾンドール魔道士団への入団の手続きも自らが主導して断行した。 トワゾンドール魔道士団への入団に際しては、顧問として迎えている太聖エルヴァの意見を尊重し、ダイキの不在により空位となっていた首席魔道士へのカイトの就任を決定した。 カイトの魔道士としての叙任式典を、朔日である十月一日に執り行うことも併せて決定した。 辣腕をふるうセルシオが激務をこなしてみせるのとは対照的にエルヴァの屋敷に滞在するカイトは、日に数時間程度のエルヴァから受けるレクチャー以外の時間は既に一通り読み終えている禁書を読み返すなどして、勉強に専念するという大学生だったカイトには違和感のない形で異世界での生活をスタートさせた。 禁書に記された十五種の天使に関する情報をすっかり頭に叩き込んだカイトは、通常のランク付けとは別枠として扱われるミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルの四大セラフと、サタン、バアル・ゼブル、ベリアル、ペイモンの四大ノフェル。そしてランクには属すが上位の存在として扱われるセラフとケルブの次に位置するスローンまでの五種を、九月十五日までに召喚させてみせた。 十五日の昼過ぎに訪れたサイオン領の飛び地でありカイトが召喚された日にも召喚魔法のレクチャーに用いた草地で、カイトがスローンの召喚を成功させるのを目にしたエルヴァは歓声を上げた。「いやいやいや……! 僕の弟子は本当にやってくれるね! ほんの数日でジズやバハムートなんかの四大幻獣に匹敵するスローンを召喚しちゃったよ」 カイトの意欲にほだされて普段は必ず休むと決めている日曜日にも関わらず、レクチャーに付き合ったエルヴァは心の底から愉快だと表すように両手を叩き合わせて感嘆した。 優に五メートルを超える体長を誇るスローンの白銀に輝く威容を目の当たりにしたカイトも、自分が異世界で確実
「はい。わたくしでよろしければ」 夜伽を務める意思を示す小柄なストーリアに上目遣いで見つめられたカイトは、対応を間違えちゃいけない場面だと判断できたことで落ち着きを取り戻した。 間近で見るストーリアのきめの細かい白い肌にうっすらと浮かぶそばかすの愛らしさに気付いたカイトは、男の庇護欲をかき立てるタイプの女性だと思った。 「魅力的な申し出だけど、今は必要ないかな」「わたくしでは閣下のお眼鏡にかないませんでしたか……」 ストーリアが目を伏せるのを見て、言葉が足りなかったと思ったカイトはすぐさま補足するように答えた。「いやっ、そういう意味じゃない。きみはとってもかわいいし、本当に魅力的な女性だと思う。ただ、今の俺には夜伽とか考えられないし、受け止める余裕もないってだけなんだ」 カイトの言葉から配慮を感じ取ったストーリアは微笑みを浮かべることで応じた。「お心遣いに感謝いたします」 同い年のストーリアがみせる落ち着いた対応に接して浮かんだ疑問を、カイトは率直に訊いてみようと思った。「あの、一つ訊いてもいいかな?」「はい。なんなりと」 ストーリアがすぐさまコクリとうなずくのを見て、カイトは少し踏み込んだ質問を切り出すことにした。「きみは良家の出身じゃない? 立ち振る舞いがしなやかというか、気品があるというか、短期間の訓練で身に着けたものじゃない感じがするんだけど……」 カイトの質問に対して、ストーリアは一呼吸置いてから答えた。「……わたくしは、御三家と呼ばれミズガルズ王国で最大の勢力を誇るとも云われるファリーナ家の、分家の一つにあたるカストリオタ家の出自でございます」 ストーリアの返答が想定内だったことで、カイトはもう一段踏み込んだ質問を口にした。「有力な貴族に繋がる良家の血筋で、若くて美しいきみがメイドとして俺の担当になってすぐに夜伽を申し出たのは……そういった背後の意向を背負ってるせいってことなのかな」「閣下は聡明であられます……左様です。今のわたくしはファリーナ家の命を受けて、ここにおります」「そうか……分かったよ、答えてくれてありがとう。俺から王配の祖父に相談するなりすれば、その命令を解除できるかもしれないけど……」 カイトが考えを巡らせながら答えると、それまで一貫して落ち着いていたストーリアが微かに慌てた様子をみせた。「閣
エルヴァの屋敷はカイトの想像をはるかに超えて広かった。 カイトにあてがわれた部屋も二十畳ほどの寝室としては広いもので、白を基調とした明るい部屋には先ほど紳士服店で買った部屋着や下着などの荷物がすでに運び込まれていた。 夕食までの自由な時間を得たカイトは、窓際に小振りなティーテーブルを挟むように置かれた椅子に腰掛けると「他にすることもないし」と気楽な動機で禁書を開いた。 カイトにとって禁書に目を通す行為は、召喚魔法の知識を得るためというよりも娯楽小説をめくる感覚に近かった。 窓から射し込む光が柔らかい暖色に変化したことで、日が落ちるんだと気付いたカイトは部屋に備え付けられたランプを灯した。 蛍光灯やLEDといった電気照明以外に触れることがほとんど無かったカイトにとっては、新鮮でありながらも仄暗い夜が始まった。 携帯式のランタンで足下を照らしながらカイトの部屋を訪れたメイドが夕食を報せるまで、カイトは目が慣れてしまえば文字を追うことにストレスのないランプの灯りを頼りに禁書を読み進めた。 メイドの案内に従いカイトが食堂に入ると、十人が席についても余裕がありそうなテーブルの両端には四台の大きな燭台が置かれ、合わせると二十本のろうそくが灯っていた。 随分とムードのある食卓だとカイトは思いながら席に着いた。 カイトに少し遅れて食堂に入ったエルヴァは、目抜き通りでのショッピングを終えて屋敷へ戻った際に出迎えた三人のメイドとは別のメイドを連れていた。 エルヴァは席に着くと、カイトにとっては初対面となるメイドの紹介を始めた。「まずカイト君に紹介しておこう。きみに付いて身の回りの世話を担当するメイドのストーリア。今日からこの屋敷へ入ることになった新人君だ。きみと同い年の二十歳らしいから気兼ねもいらないんじゃないかな」 エルヴァに紹介されたストーリアは、カイトに向かって深々と頭を下げてから自分の名前を口にした。「ストーリア・カストリオタと申します。これより身の回りのことは何なりとお申し付けください」 小柄なストーリアは白い肌を引き立てる赤褐色の髪をショートボブにしていた。 ベルエポックとも呼ばれる華やかな時代背景を反映するように、この異世界に来てからカイトが目にした女性はヘアメイクが際立つ長い髪の女性がほとんどだった。 顎のラインに沿うようなショートボ