カイトを引き連れてエルヴァが向かったのは、王宮の左翼に当たる棟の最奥に位置する地下への入り口だった。 地下への入り口に立っていた守衛の男から、灯されたランタンを受け取って地下へと続く階段を下りるエルヴァに、カイトは無言で付き従った。 地下には一つだけ扉があり、エルヴァは真っ黒な鉄で補強された異様に頑丈そうな扉をあっさり開けると、振り返ってカイトに声をかけた。「ここは禁書庫だよ」 ランタンを軽く掲げたエルヴァは苦笑いを浮かべていた。「僕は暗いところが苦手でね。さっさと済ますとしよう」「あ、はい。禁書庫、ですか……」 禁書庫という響きに微かな興奮を覚えたカイトは、ランタンの灯りだけを頼りに禁書庫だという狭い空間に目を凝らした。 狭く空気の籠もった禁書庫の中には、これも必要以上に頑丈な造りが見て取れる大振りな四架の書架だけが整然と並んでいる。 迷いのない挙動で奥の書架に近付いたエルヴァは、「とりあえず一冊でいいかな」 とカイトが聞き取れる程度の声で言いながら一冊の書物を手に取った。「え? 持ち出すんですか? 禁書、なんですよね?」 カイトは驚きを疑問に含めたが、それに答えるエルヴァの口調はいたって軽いものだった。「ああ、問題ないよ、僕は自由に使っていいってことになってるから」 エルヴァは「はい、これ」と気楽な調子で、分厚い革表紙の禁書をカイトに手渡した。 ざらりとした手触りの革表紙が妙にひんやりとしているのを感じながら、カイトが手渡された禁書を胸に抱える。「よし、出よう。暗くて狭い場所は僕のテリトリーじゃない」 嫌気を滲ませてツカツカと禁書庫を出るエルヴァの後に続き、カイトも禁書庫を出て足下の暗い階段を上った。 禁書庫を後にした二人は、王宮の左翼に当たる同じ棟の中央付近に位置する部屋へ移動した。 中庭に面した部屋の窓のサイズが、地球の十九世紀末とほぼ同程度だという時代には有り得ないほど大型で、その採光によって白を基調とした部屋は禁書庫と対極にあるように明るかった。「僕の執務室ってことになってる。まあ、ほとんど使ってないけどね。あ、本はそこに置いて」 エルヴァが部屋の中央に置かれた天板が分厚い机を指差したので、カイトは言われたとおりに禁書を机の上に置いた。「さて、早速だけど、この本はね」 軽い口調のまま禁書の革表紙に手を置
「今のところ僕とシーマ卿だけが使えるってことになってる無属性魔法ってのは、他の属性と違って召喚魔法に特化してるんだよ」 微笑を浮かべるエルヴァは、魔法について説明するというよりゲームの遊び方について教えるといった口調で、放出するオーラから新たに無属性魔法を行使する可能性を見出したカイトへのレクチャーを始めた。「召喚、魔法……」 ファンタジーを題材とするアニメやゲームで見た召喚魔法の派手な演出を思い浮かべたカイトは、オウム返しに単語だけをぽつりと漏らした自分に気付き、慌てて質問を口にした。「その召喚魔法っていうのは、俺をこの世界に転移させた召喚術式とは別物なんですね?」 カイトの質問に対し、エルヴァはコクッと軽くうなずいてみせた。「召喚って同じ言葉を使ってるからややこしいけど、まったく別の系統だね。召喚術式は魔法ですらないし。で、その召喚魔法なんだけど、無属性以外の属性でも行使が出来る召喚魔法はある。ただ、火や土なんかの属性で召喚できる召喚獣ってそれぞれの属性でせいぜい十二、三種類ってとこ。僕たちが使う無属性は召喚魔法に特化してるだけあって、その種類は段違いに多い。天使シリーズが十五種、ギリシアシリーズが二十四種。合わせて三十九種が現時点で確認できてる」 エルヴァが付け加えるように言った「現時点で確認」という部分にカイトは反応した。「現時点で確認できているってことは、未確認のものが存在する可能性もあるってことですか?」 カイトの問いに対して、及第点を与える教師のように「うん」とエルヴァが首肯する。「その点では他の属性も同じなんだけど、魔法っていうのは言い換えれば「呼応する技術」でね。呼応の対象は四大元素だけじゃなくて神性も含んでる。神性を産み出す土壌となる世界は広い上に歴史も深い。探せば未知の召喚獣はいるだろうし、現に未知の召喚獣を求めて研究に没頭するってタイプの魔道士もいる。まあ、世の中が平和になれば魔道士は研究者にもなれるんだろうけど、今は忙しいから研究に時間を費やせる魔道士は少ないけどね」 エルヴァがぼやかした背景に、カイトは敢えて言及してみることにした。「戦争、ですか……?」「いやな時代だよ、まったくね。「戦争が研究を後押しする側面もある」なんてほざく奴もいるけど、僕は嫌いだ」「はい。俺も戦争を肯定的に捉える意見は嫌いです」 目
「その魔力の量だけでランク、位階は決まるんですか?」 カイトが率直な疑問を口にすると、エルヴァは軽いうなずきを返してから答えた。「そうなんだよね。魔道士の強さは魔力の量だけで決まるほど単純ってわけじゃ当然ないけど、魔力量が重要な要素っていうか強さのベースになっちゃうってのは、どうしてもあるから」「修行というか、訓練とか鍛錬みたいな方法で、魔力の量を増やすことは可能なんですか?」 間を置かずに質問したカイトのテンポに合わせるように、エルヴァもすぐに答えを返した。「ああ、それは無理なんだ。魔力の量って、魔道士としての血が顕現したときに決まってるんだよ。顕現度合とか魔道士としての血の濃さ、なんて言い方もするんだけど。大抵は四歳前後で表れる魔道顕現発達の時点で位階はほぼ決まっちゃって、ある程度は魔道士としての強さも決まっちゃうってこと。その魔力量を正確に測れるのが、ウァティカヌス聖皇国の聖皇なんで、通例として魔道士は十四歳までに聖皇に拝謁する。その拝謁で聖皇が魔力量に応じた位階の叙位と、その子が従三位以上なら称号の授与もセットでやっちゃう。言っちゃえば、まだ子供の頃に決まったランクを一生背負って生きるのが魔道士ってわけ」 生まれ持った才能で一生が左右される世界。カイトは率直に嫌な世界の形だと思った。「なんだか残酷な気もするんですが……」 カイトが感じた嫌な印象を口調に含めると、エルヴァはそれを肯定するようにうなずいた。「そうかもね。ただし、だ。魔道士の強さは魔力量だけで決まらないってのも事実だよ。上位の称号持ちが下位の魔道士に敗れるってのは珍しいことじゃない。実際の戦場だと、上位の称号持ちは地位も高いってのが相場だから、真っ先に狙われるって傾向もあったりするし」「戦い方次第ってことですか」「うん。たとえば土属性のベヒモスとか、水属性のレヴィアタンなんて有名どころの召喚獣は、四十ちょっとの魔力消費で召喚できるのに結構強い。上手く使えば上位の魔道士に対抗できる召喚獣とも言える。あとは、火属性のコーザサタニとかプグヌス・フランマエみたいに、術者がその身体を武器としちゃって直接的に攻撃するタイプの魔法も、究めれば有効なのに消費する魔力は少なくて済む。魔力量それ自体は変えられないけど、戦闘の練度は変えられるからね……さて、話がちょっと逸れたかな」 エルヴァが
「僕はちょっと手配してくるから、カイト君はその本でも読んで待っててくれるかな」 エルヴァの指示に従うことは、無自覚ながら既にカイトにとって自然な反応となっていた。「はい。分かりました」 カイトは自然な反応として素直にうなずいた。 エルヴァが軽い足取りで執務室を出て行くと、未だ夏の気配を残す白昼の日差しが射し込む明るい執務室に一人残されたカイトは、エルヴァの指示に従っていると自覚することもなく禁書を手に取ってページをめくった。 アルケーの次は、エクスシーアという天使が記されたページだった。 黄金色の甲冑に緋色のマントを身に纏い、背中には白い翼。その姿を伝える細密な具象画を見て、カイトは勇ましい姿の天使だと思った。 アルケーの時と同じように、エクスシーアを説明する文が脳にじわりと染み込んでいくような感覚があった。 ゾーンに入ったときの勉強、集中して暗記科目を勉強している時の感覚に近いが、さらに速く深く染み込んでいく感覚は不思議とカイトにとって気分がよいものだった。 エクスシーアの次は、デュナメイスという天使が記されたページだった。 金色の甲冑を身に纏い背中には大きな白い翼。長い槍を持っている。 デュナメイスのページもすらすらと読み終えて、カイトはページをめくった。 デュナメイスの次は、キュリオテテスという天使が記されたページだった。 漆黒のローブを身に纏い、左手に王笏……というより魔法少女が持つ魔法ステッキに近いとカイトが思った杖を持っている。 背中に白い翼があるのはアルケー、エクスシーア、デュナメイスと同様だったが、甲冑ではなくローブを身に纏っていることもあって、どこか兵士の印象を含んでいる今までの天使とは毛色が変わったようにカイトは感じた。 キュリオテテスを説明する文もすんなり読み終えたカイトが、次のページをめくろうとしたとき執務室にエルヴァが戻ってきた。「お待たせ。じゃあ、行こうか。禁書は持ってきて」「はい」 素直に応じたカイトは禁書を左手に持ち、エルヴァと一緒に執務室を出た。 王宮の左翼に当たる棟から出ると、馬車なら五輛が並んでも余裕がある広い車寄せに、屋根付きの豪奢な二頭立ての四輪馬車とエルヴァの秘書だという初老の男性が待機していた。 カイトとエルヴァを乗せた馬車は、王都プログレの目抜き通りを優雅に進んだ。 馬車の乗
「よし。あっさり召喚できたね。きみは筋がいい。アルケーは見ての通り白兵戦向けの天使だ。僕も召喚するから、ちょっとした手合わせでもしてみよう。実際に動かしたほうが説明するより早いだろうしね。エクスシーア」 エルヴァは語尾に何気ない調子で「エクスシーア」と付け加えただけで、エクスシーアの召喚を行使してみせた。 黄金色に輝く甲冑を装着したエクスシーアは、左肩にだけ掛ける肩掛けのペリースと呼ばれる緋色のマントを身に着けていた。背中にはアルケーと同様の白い翼をもっている。 エルヴァが召喚したエクスシーアを前にしたカイトの目には、自分が召喚したアルケーよりも格段にランクが高い天使のように見えた。 禁書に記載された順ではアルケーの次のページがエクスシーアだったはずと記憶を辿りながら、ランクが一つ違えばその差は思ったよりも大きいんだろうとカイトは推測した。「頭の中でアルケーを動かすイメージを浮かべれば、それに連動してアルケーは動くよ。慣れちゃえば自分の手足の延長みたいに操作できる。とりあえず動かしてみよう」 カイトは「はい」と短く応じると、エルヴァから言われた通りにアルケーが動くイメージを頭に浮かべてみた。 するとカイトがイメージした通りに、アルケーは右手に握った長剣を一振りしてからエクスシーアに対して中段に構えた。 エルヴァが言っていた操作するという感覚を、初動で掴みかけたカイトは面白い感覚だと思った。 カイトがアルケーを動かし、長剣の切っ先をエクスシーアに向けて構えさせたのを見たエルヴァは満足げにうなずいてみせた。「いいね。きみは飲み込みも早いようだ。じゃあ、次はアルケーを操作してエクスシーアに攻撃してみようか」 エルヴァの指示を聞いたカイトは、ゲームのチュートリアルみたいなものだと指示の趣旨を理解した。「分かりました。やってみます」 リモコンで操作するロボットだと思えばそれほど難しいことじゃないと考えたカイトは、思いのほかスムーズにアルケーをスタートダッシュさせてみせた。 カイトが操作するアルケーは、中段に構えていた長剣を上段に構え直すと駆ける勢いのままエクスシーアに斬り掛かった。 なめらかなファーストアタックで先を取ったかに見えたアルケーの一振りを、エクスシーアは最小限の動きで躱すや反撃に移るモーションをカイトの目では捉えられない速さで完了さ
無属性魔法の召喚に関する一通りの説明を終えて、カイトと一緒に馬車へ乗り込んだエルヴァは気楽な口調のまま次の予定を口にした。「帰る前に、ちょっと寄り道するよ」「寄り道? ですか?」「うん、寄り道。テーラーで採寸しちゃおう。軍服のね。魔道士には必需だからさ。今頃、店主が慌てて準備してるんじゃないかな」 軍服と聞いたカイトはあらためてエルヴァの服装に目をやった。 エルヴァは燕尾服やタキシードといった礼装の原形となった黒のフロックコートを着ていた。 カイトの視線に気付いたエルヴァは微笑みを微笑む。「僕は軍服が嫌いなんでコートで外出することが多いけど、通例としては魔道士が人前に出るときには軍服を着るってことになってる。僕は例外。そもそも筆頭魔道士団の顧問ってのが例外的だからね」「そうなんですね……軍服、ですか……」「きみも軍服が嫌いだったりする?」「いえ、好きとか嫌い以前に、軍服なんて着たことがないので」「そっか。まあ、すぐに慣れるさ。きみが着てる服は、きみがいた世界で一般的なもの?」 エルヴァに服装のことを訊かれて、カイトは自分が全身ユニシロというファストファッションコーデであることを思い出した。「そうですね。ごく一般的な服装です」「簡素で動きやすそうだけど、これからきみが立つことになる場所だと、ちょっと簡素すぎるかもね。ちょうどいいから紳士服店にも寄って既製服も見繕おうか。下着なんかも用意しなくちゃだし」「はい。お願いします」 エルヴァの指摘はもっともだと感じたカイトは素直にうなずいた。 自分の服装はどうにもこの世界、特に接する人物たちが王侯貴族という社会では浮いていると感じていたカイトにとっては、渡りに船な展開でもあった。 カイトとエルヴァを乗せた馬車は、王都プログレの目抜き通りに面するテーラーの前で停まった。 王室御用達の看板を掲げた二階建てのテーラーだった。 高級感が漂う店内の空気にかすかな緊張を覚えるカイトとは対照的に、エルヴァはくつろいだ様子だった。 カイトの採寸は店主が自ら行った。職人ならではの店主の見事な手さばきに接したカイトが感心しているうちに採寸は済んでいた。 テーラーを出たカイトとエルヴァが次に訪れた同じ目抜き通り沿いに店を構える紳士服店も、王室御用達の看板を掲げていた。 紳士服店に先回りしたエルヴァの
「ありがとうございます……エルヴァ卿の弟子として恥ずかしくない魔道士になれるよう、頑張ります」 カイトは決意を口にしながら「定型文っぽい返事になってしまった」と思ったが、エルヴァはにんまりと笑みを浮かべてカイトの言葉を受け取った。「うん。素直でよろしい。僕の提案には素直に応じると決めるまでの判断の早さも合格だ。で、もう一つ提案なんだけどね。きみの今晩からの寝所なんだけど、当面は僕の屋敷にしない? 魔法もそうだけど魔道士って立場が特殊だから、把握しておかないと問題になっちゃう慣習とか作法が色々とあってね。特に戦場に立ったとき国家の意向を背負う全権代理人として扱われる筆頭魔道士団に所属する魔道士は、ウァティカヌス法って魔道士に関する国際法も把握しとかなきゃいけない。とまあ、きみに教えとくことってけっこう多いからさ。近くにいれば何かと無駄がなくていいかなって思うんだけど、どうかな?」 エルヴァは自分の屋敷にカイトを招く提案に至った理由をすらすらと説明した。 拒否する理由がないと即断したカイトはすぐに首肯して応じた。「はい。お言葉に甘えて、お世話になります」「よし、決まりだね。これからきみの叙任式典までは忙しくなるよ。まあ、重要な立場に立つことがもう決まってるきみに早い段階で取り入りたいとか考える貴族やら政治家なんかは、僕と一緒にいれば近付けないから安心して屋敷でくつろぐといい」「はい。ありがとうございます。そうさせてもらいます」 素直にうなずくカイトの反応を見て、満足の表情を浮かべたエルヴァは、「じゃあ、帰ろう」 と馬車の発進を秘書に合図した。 カイトとエルヴァを乗せた馬車は、十五分ほどで王宮と目抜き通りのほぼ中間に位置するエルヴァの屋敷の車寄せに入った。 バトラーとハウスキーパー、そして三人のメイドが、主人であるエルヴァと客人のカイトを出迎えた。 使用人を管理するバトラーは落ち着いた笑顔を浮かべる壮年だった。ハウスキーパーはやわらかな笑顔を浮かべる中年の女性。メイドは三人とも若い女性だった。「僕は使用人が多いのは苦手でね。あとはコックが二人いて、それで全員かな」「あ、はい……」 カイトが微かに戸惑った反応をみせたので、エルヴァは軽く問い掛けた。「どうかした?」「いえ……俺がいた世界、というか国、っていうか時代だと使用人の方と接する機
エルヴァの屋敷はカイトの想像をはるかに超えて広かった。 カイトにあてがわれた部屋も二十畳ほどの寝室としては広いもので、白を基調とした明るい部屋には先ほど紳士服店で買った部屋着や下着などの荷物がすでに運び込まれていた。 夕食までの自由な時間を得たカイトは、窓際に小振りなティーテーブルを挟むように置かれた椅子に腰掛けると「他にすることもないし」と気楽な動機で禁書を開いた。 カイトにとって禁書に目を通す行為は、召喚魔法の知識を得るためというよりも娯楽小説をめくる感覚に近かった。 窓から射し込む光が柔らかい暖色に変化したことで、日が落ちるんだと気付いたカイトは部屋に備え付けられたランプを灯した。 蛍光灯やLEDといった電気照明以外に触れることがほとんど無かったカイトにとっては、新鮮でありながらも仄暗い夜が始まった。 携帯式のランタンで足下を照らしながらカイトの部屋を訪れたメイドが夕食を報せるまで、カイトは目が慣れてしまえば文字を追うことにストレスのないランプの灯りを頼りに禁書を読み進めた。 メイドの案内に従いカイトが食堂に入ると、十人が席についても余裕がありそうなテーブルの両端には四台の大きな燭台が置かれ、合わせると二十本のろうそくが灯っていた。 随分とムードのある食卓だとカイトは思いながら席に着いた。 カイトに少し遅れて食堂に入ったエルヴァは、目抜き通りでのショッピングを終えて屋敷へ戻った際に出迎えた三人のメイドとは別のメイドを連れていた。 エルヴァは席に着くと、カイトにとっては初対面となるメイドの紹介を始めた。「まずカイト君に紹介しておこう。きみに付いて身の回りの世話を担当するメイドのストーリア。今日からこの屋敷へ入ることになった新人君だ。きみと同い年の二十歳らしいから気兼ねもいらないんじゃないかな」 エルヴァに紹介されたストーリアは、カイトに向かって深々と頭を下げてから自分の名前を口にした。「ストーリア・カストリオタと申します。これより身の回りのことは何なりとお申し付けください」 小柄なストーリアは白い肌を引き立てる赤褐色の髪をショートボブにしていた。 ベルエポックとも呼ばれる華やかな時代背景を反映するように、この異世界に来てからカイトが目にした女性はヘアメイクが際立つ長い髪の女性がほとんどだった。 顎のラインに沿うようなショートボ
番所から深紅の軍服を着た女性が出てくるのを目視で確認したインテンサは、感情を乗せない静かな口調でクワトロに声をかけた。「聖皇国の情報は確かなようだ。ボーラで間違いないだろう。イオタが到着する前に済ませるとしよう。この戦闘は聖下の下された断罪を代行する刑の執行であり、戦場の儀礼は無視して構わん。卿の得意とする速攻で片付けてしまって何ら問題は無い」 インテンサの指示に「御意」とだけ短く応えたクワトロは、続く呼吸で魔法の詠唱を済ませた。「クッレレ・ウェンティー!」 速さで優位に立つのが定石である気の属性魔法を行使するクワトロが、風の力を利用して加速する初手の定番であるクッレレ・ウェンティーを用いて高速で駆け出す。 前傾で駆けた姿勢のままクワトロは召喚魔法を行使した。「ウムダブルチュ!」 クワトロが召喚獣の名を詠唱する。二つの魔法を同時に行使するという高等技術を難無く行ってみせるクワトロに呼応するように、ライオンの体に鷲の頭と翼を持った召喚獣が、金色に輝く魔法陣から現出する。 体長が四メートルに達するウムダブルチュは、堂々たる巨躯を誇示するように咆哮を上げた。「いいねえ、強引な男は嫌いじゃないよ」 不敵な笑みを浮かべたボーラは、その場で召喚魔法を行使した。「ラクタパクシャ!」 ボーラが詠唱した召喚獣の名に呼応して現れた紅く光る魔法陣から、人間の胴体に鷲の頭と翼を持つ召喚獣が現れる。その体長は二メートルほどだが、羽ばたく翼の翼長は四メートルにも届かんとする大きさを誇った。 全身から炎を発するラクタパクシャが、紅蓮の翼を強く羽ばたかせる。 ラクタパクシャの羽ばたきは数十本の炎の矢を空中に作り出した。 流れるような動作で、ラクタパクシャが紅蓮の翼を力強く前へと突き出す。 数十本の炎の矢が、一斉にウムダブルチュへと襲いかかる。 ウムダブルチュは素速く上空に舞い、炎の矢を全て躱してみせた。 上空から高速で急降下したウムダブルチュが、ラクタパクシャに体当たりを喰らわす。 その圧倒的な質量差によってラクタパクシャは吹き飛ばされた。「くそっ」 ボーラがウムダブルチュに向けて両手を突き出し、援護射撃となる魔法を詠唱しようとした、その刹那。眼前には既にクワトロの姿があった。「グラディウス・ウェンティー!」 クワトロの素速い詠唱と同時に長剣の如き
「それでは、各々任務を完遂した後に合流するということで。私はこれで失礼を」 英魔範士である自分よりも上位の称号を持つ世界で三人しか存在しない内の一人だとしても、圧倒的な最強として君臨する太聖エルヴァや覇権国家を築くに至った皇帝シーマとは違い、現時点では何らの功績を挙げた訳でもない未知数のカイトと、最も警戒すべき存在として認識している自分以外の英魔範士であるヴァルキュリャ。 この二人と馴れ合う必要はなく、下手に関係を築くことは避けるべきだと判断しているインテンサは、静かに退席の意思を口にしてから立ち上がると真っ先に円卓を離れて退室した。「では、俺も……」 インテンサにつられて立ち上がったカイトに、ヴァルキュリャが声をかけた。「カイト卿。卿は今回が初めての実戦ですよね」「あ、はい。そうです」「卿は無属性魔法を行使する太魔範士にして聖魔道士、圧倒的な強者です。ですが、初陣には魔物が潜んでいます。命を奪うという行為に躊躇すれば魔物は容赦なく襲いかかってきます。覚悟は今のうちに固めておいてください」 命を奪う。ヴァルキュリャが明言した強い言葉に、表情を引き締めたカイトは首肯を返した。「分かりました。そうします」 カイトの素直な返答を聞いたヴァルキュリャは表情を緩め、穏やかな笑みを浮かべてみせた。 セナート帝国が勢力を拡大する中で徹底的な実力主義をもって猛者を集結させたラブリュス魔道士団が存在する今も、最強の魔道士団と称され続けるメーソンリー魔道士団の首席魔道士が浮かべる可憐な笑みに接したカイトは赤面した。 「それにしても、思ったより早い再会でしたね。この任務が終わったら、また二人でお酒でも」「はい、ぜひ」 ヴァルキュリャの誘いに対し、カイトは嬉しさを隠さずに二つ返事で応じた。 翌日の朝にはインテンサが率いるアイギス魔道士団の四名と、ヴァルキュリャが率いるメーソンリー魔道士団の四名が聖皇国の用意した幌馬車に乗り込み、それぞれの目的地へ向けて出立した。 さらに日付を跨ぎ月の変わった二月一日の朝には、最も目的地に近いカイトらトワゾンドール魔道士団の四名も、聖皇国が用意した二台の幌馬車に分乗してメディオラヌムへ向けて出立した。 同日の昼前。 数千年の歴史を刻む古都であり観光地として知られる、ビタリ王国で第三の都市であるフエルシナの空は今にも雨を
カイトが筆頭魔道士団に属する魔道士三名とともにウァティカヌス聖皇国に到着したことで、聖皇フィデスが指名した三名の執行人が揃ったことを受け、翌日の昼過ぎには最初の協議が持たれた。 聖皇の宮殿内で行われた協議には各国の首席魔道士であるヴァルキュリャとインテンサ、そしてカイトが参加し、ウァティカヌス聖皇国の筆頭魔道士団・ロザリオ魔道士団で次席を務めるクーリアが、司会を兼ねたオブザーバーとして協議を進行した。 現状の確認から入るクーリアの穏やかだが通る声で、三カ国を代表する首席魔道士が顔を合わせる協議は始まった。「まずビタリ王国の現況からですが……首席魔道士であったウアイラが率いるトリアイナ魔道士団は、十二月三十一日に王都ロームルスでクーデターを起こし、国王とともにソフィア王女殿下を除く王族を殺害。その翌々日にはウアイラが国王に即位したことを国内外に宣言。王位の簒奪に際し、ウアイラに抵抗する姿勢をみせたビタリ国内の貴族は少なく、現在までに南部の一部を除くビタリ王国の領土はほぼトリアイナ魔道士団が掌握する形となっています」 クーリアの現状の説明を受けて、ヴァルキュリャとインテンサは現在の状況をすでに把握していると判断したカイトは最初の質問を口にした。「トリアイナ魔道士団に属する魔道士たちの配置はどうなっていますか?」 カイトに向けて首肯を返したクーリアが答える。「ゲルマニア帝国との国境に近いフエルシナには第三席次のイオタと第十一席次のボーラ。ガリア共和国との国境に近いマイラントには次席のゾンダと第九席次のカリフ。そして、聖皇国に近いメディオラヌムに第五席次のジュリエッタと第七席次のデルタ。ウアイラを始めとする他の魔道士は王都ロームルスに留まっているようです」 地中海に突き出た半島が領土の大半を占める、地球のイタリアに酷似したビタリ王国の地図をカイトは思い浮かべた。 大陸側の国境をゲルマニア帝国、ガリア共和国、ロムニア王国の三国と接しており、ウァティカヌス聖皇国を内包する領土を持つビタリ王国にあって、周辺の各国への警戒を顕示するなら妥当な配置なんだろうとカイトは思った。 ロムニア王国には魔教士以上の魔道士が不在な上に、停戦協定が結ばれたとはいえセナート帝国への警戒を解けない現状では、ビタリ王国に対して何かしらの行動を起こす余裕はないものとして協議には上が
翌日の昼前。肌を冷やす淋しさをいっとき忘れさせてくれるような心地好い日差しがそそぐプログレの港には、聖皇からの指名を受けて刑の執行人として出立しようとするカイトたちの姿があった。 聖皇の使者としてミズガルズ王国を訪れたヴェネーノは、カイトたちより先に汽船への乗船を済ませていた。 ビタリ王国の王位を簒奪したウアイラと、クーデターの主体となったトリアイナ魔道士団への断罪を裁定した聖皇の意思を代行する執行人という特異な任務に当たる渡航とあって、カイトら四人の出立を見送るのはレビンとステラ、そしてノンノの三人のみだった。 少数とはいえ筆頭魔道士団の威を示す純白の軍服を身に纏う魔道士たちの存在は充分に目立っており、七人を遠巻きにする港で働く人々の注目を集めていた。「さくっと終わらせて還ってくるんだよ」 ノンノがいつもの調子で声をかけると、カイトは調子を合わせるように軽い調子で応じた。「うん。そうするよ」「ピリカをお願いね」 ノンノが浮かべる快活な笑みに、わずかな心配の色が差すのを見たカイトは大きくうなずいてみせた。「分かった。必ず無事に、一緒に還ってくるから」「うん。任せた」 カイトに向けて明るい笑顔をみせるノンノの横で、真剣な表情を崩さないレビンにアルテッツァが声をかけた。「王都を頼むよ」「お任せください。旅の無事とご武運を祈っております」「ああ、武勲を立てて王都に戻るとしよう」「はい。凱旋の日を楽しみにしております」 微笑を浮かべて壮行を口にするレビンへ向けて、アルテッツァは力強い首肯を返した。 カイトに随行するアルテッツァ、セリカ、ピリカの三人と、ヴェネーノを乗せた汽船は予定通りに正午の鐘を合図に出航した。 汽船は最短の航路でウァティカヌス聖皇国を目指し、十一日後の一月二十九日には聖皇国のスペツィア港へと到着する予定となっていた。 カイトにとっては初陣の地となるであろうビタリ王国へと続く旅立ちだったが、その不安や緊張を顔には出さないように努めた。 天候にも恵まれ穏やかな船旅となった十一日の間、四人はヴェネーノも交えてポーカーに興ずるなどして時間を潰す余裕を持った空気を共有した。 一月二十九日の昼過ぎには、予定の航程を全うした汽船がウァティカヌス聖皇国のスペツィア港に入港した。 ふたたび聖皇国の地を踏むこととなったカイトに、
ビタリ王国の首席魔道士ウアイラによる王位の簒奪を受け、これを断罪する裁定を下した聖皇フィデスの署名が入った正式な刑の執行人への指名を受理。刑の執行に当たっての渡航に同行する三名の人選と、渡航の方法と日程の決定。 重大な決断と実務の処理を矢継ぎ早に行ったカイトは、深夜の帰宅から短い眠りを経て翌日も朝から王宮に赴き、ミズガルズ王国の宰相であるセルシオとの事前の確認に併せて事後の方針に関する協議も済ませた。 「さすがにちょっとオーバーワークかな……」 思わずぼそっとつぶやいたカイトが屋敷へ帰る頃には、大陸からの厳しい寒気をなだめていた冬の陽もすでに傾き始めていた。 カイトが自室に戻ると、ストーリアが旅の支度を調えていた。 どの程度の滞在になるか期間のはっきりしない渡航の準備とあって、その荷物はなかなかの量にはなっている。「ただいま」 カイトが声をかけると、ストーリアは荷造りの手を止めて微笑みを返した。「おかえりなさいませ。お疲れでしょう。出立までは少しお考えにならない時間をお持ちください」 ストーリアが自然に言い添えた「考えない時間」という言葉にカイトは感心してしまった。 この異世界に来てから約四ヶ月。首席魔道士という国防を担う元帥、あるいは象徴的存在としての大元帥とも謂えてしまう立場に就いてからの約三ヶ月。未だに慣れない政治的な判断や決断を強いられてきたカイトが、いま最も欲しているのは思考から解放される時間だった。 いまの自分を一番よく分かってくれているのは、異世界にいきなり召喚された最初の長い一日からずっとそばにいてくれるストーリアなんだろうとカイトはあらためて思った。「カイト様……? どうかなさいましたか?」 少し感慨にひたる間を置いたカイトに、ストーリアが小首を傾げてみせる。「あ、いや。ストーリアはいつでも、俺が欲しい言葉をくれるなって思っただけだよ」 カイトの返答を聞いたストーリアは、荷造りのためにかがんでいた姿勢から立ち上がるとカイトをまっすぐに見つめた。「カイト様……ひとつだけ、約束していただけませんか?」「俺にできる約束なら……」 ストーリアがゆっくりとカイトのそばに寄り、その胸に自身の頭を寄せる。 カイトの心音を確認するように短い間を置いたストーリアは、頬を寄せるカイトにだけ届く声でお願いを伝えた。「必ず
翌日の昼過ぎに、聖皇の指名を受けたカイトが執行人としての渡航に同行するメンバーを探していると聞き及んだピリカが、王宮内にあるカイトの執務室を訪れた。 書類仕事を中断して応対したカイトに促されてソファに腰掛けたピリカは、向かいに座ったカイトをまっすぐに見つめて用件を口にした。「カイト卿。今回の指名を受けて、執行人として赴く卿と同行する魔道士に、あたしを加えてください。この機会をあたしは待っていたんです」 前置きを省いて本題から入ったピリカに対し、カイトはまずその動機を確認するための質問を返した。「危険を伴う任務に立候補していただき、ありがとうございます。ピリカ卿、ひとつだけ訊いてもいいでしょうか? 危険な任務の機会を「待っていた」という理由は何ですか?」「あたしは魔道士としてトワゾンドール魔道士団に席をいただき、ミズガルズ王国の男爵位もいただきました。ですが、侯爵領となったヌプリの先住民族をルーツとする出自は、決して変わるものではありません。あたしの親や親族に向けられる視線を変えるために、あたしは活躍して功をあげなくてはならない。それが理由です」 ピリカの碧い瞳に強い決意が宿っているのを感じ取ったカイトは、首肯を返してから答えた。「分かりました。今回の渡航への同行をピリカ卿にお願いします」「ありがとうございます」「いえ、礼を言うのは俺のほうです。おかげで初めての任務を受ける俺にとって最大の不安材料がなくなりました」 そう言って頭を下げるカイトを見たピリカが微笑む。「カイト卿。あたしも、ひとつ訊いてもいいですか?」「ええ、どうぞ」「親しい関係になった女性は、もういますか?」「えっ!?」 ピリカの唐突な問いに動揺したカイトの声が裏返る。同時にカイトの脳裏にはストーリアの顔が浮かんだ。「あたしでよろしければ、そちらにも立候補してよろしいですか?」「えー……と、とても魅力的な提案なんですが……」「答えは急ぎませんので、いまは立候補だけ受け取ってください。気長に待ってます」 ピリカの微笑みには裏に含んだ後ろめたさがなく、魅力的な女性だとカイトは率直に思った。 その日のうちに、カイトは聖皇の使者であるヴェネーノが滞在するホテルに赴いた。 ヴェネーノが宿泊する客室に直接通されたカイトは、すすめられるままソファに腰掛けると用件から口にした
出そうと思えばすぐに出せる答えだと分かっているのに、どうにも答えを出すという踏ん切りがつかない。 葛藤と呼ぶにはいささか情けない堂々巡りを独りで繰り返しているうちに、窓の外では陽が傾き初めていることに気付いたカイトが「きょうはもう屋敷に帰ろう」と立ち上がったタイミングで執務室のドアがノックされた。「はい。どうぞ」 カイトがノックに応じるとドアを開けて顔を覗かせたのはアルテッツァだった。 いつものアルカイックスマイルで右手を軽く上げたアルテッツァは、カイトに向けてくいっとグラスを傾ける動作を見せた。「カイト卿。ちょっと一杯、付き合いませんか?」「いいですね」 少し気分を変えたくもあったカイトは、渡りに船とアルテッツァの誘いに二つ返事で応じた。 カイトとアルテッツァは連れ立って、王宮からは少し離れた歓楽街の中にある二人が行きつけとしているバーへ移動した。 アルテッツァが時折、気心の知れたマスターが営むバーへカイトを誘うようになった三ヶ月ほど前から定席となっている、奥のテーブル席に座った二人はウイスキーで乾杯した。 のどを灼くウイスキーが今のカイトには心地好く感じられた。「聖皇陛下の使者殿は、何か難しい条件を提示してきましたか?」 探りを入れるような会話は省いて初めから核心に触れてきたアルテッツァに対して、カイトは素直に答えを返した。「ええ、俺を含めて四人と、人数を指定されました」「そうですか。前提を確認しますが、聖皇陛下の指名には応じるんですね?」「はい。俺は行かなきゃならない。首席魔道士としてお飾りじゃないってことを証明する必要がありますから。問題は同行してもらうメンバーを誰にするか……それを考えてたところです」「でしたら、私とセリカで二名は決まりです」 前もって用意していた答えであることを隠す様子もなくアルテッツァは即答した。「……いいんですか?」「もちろんです。王都の防衛も今はノンノがいますし、何より、カイト卿が初陣に出るとなったときには、必ず同行すると決めていました」「ありがとうございます」「礼には及びません。私が勝手に決めていたことですから。私はダイキ卿を護れなかった……あの屈辱を忘れたことはありません。今度こそ必ず役に立つことを約束します」「心強いです。助かります」「どうか、お任せを。しかし……ダイキ卿は今、
聖皇の使者としてミズガルズ王国の王都プログレを訪れたヴェネーノは道すがらの露店で王宮の場所を尋ねたりなどしながら、軽快ではあるが先を急がない足取りで王宮までの道を歩いた。 前もって待機していたウァティカヌス聖皇国の公使と王宮で合流したヴェネーノは、王宮内にあるカイトの執務室まで案内されると公使を執務室の前に待たせて単身でカイトと面会した。「はじめまして。ロザリオ魔道士団の第五席次を預かるヴェネーノ・バラメーダと申します。本日は聖皇陛下の使者として参りました」 ヴェネーノは口上を済ませると、気さくな仕草でカイトへ右手を差し出した。「カイト・アナンです。どうぞ、お掛けください」 カイトが握手に応じてから応接用のソファをすすめる。 ソファに腰掛けたヴェネーノは懐から薄い封書を取り出すと、微笑を添えてカイトに手渡した。 封書を受け取ったカイトはペーパーナイフで封を切り、書状の内容を確認してからヴェネーノと向かい合うソファに腰掛けた。「御用向きは確かに承りました。返答はいつまでにすればよろしいでしょうか」 カイトの問い掛けにヴェネーノは微笑を浮かべたまま答えた。「私はプログレに三泊し、十八日の正午にはプログレを発つ予定でおります。それまでにいただけましたら」「分かりました。今回の執行にあたっての指名は、何人になりますか?」「はい。今回の指名は対象が個人ではなく筆頭魔道士団を対象にする稀有なケースとなっていますので、メーソンリー魔道士団の首席魔道士ヴァルキュリャ卿と、アイギス魔道士団の首席魔道士インテンサ卿も指名を受けております」 予測はできていたカイトだったが、実際にヴァルキュリャとインテンサの名を聞いて事態の大きさをあらためて実感した。「そうですか……なにぶん俺は初めてなので勝手が掴めていないのですが、単身で赴くものではないんでしょうね」「はい。個人への執行であっても指名された魔道士が単独で執行に当たることは、まずありません。特に今回は対象が複数、しかも筆頭魔道士団となっていますので……出来ましたらカイト卿を含め、四名でのご対応を、お願いしたいところではあります。ヴァルキュリャ卿とインテンサ卿にも同様の要請をお願いしております」 三人の首席魔道士に各々三人の同行を要請するという詳細を聞いたカイトは、敢えて驚きを素直に表した。「四名ですか
「それは具体的に、ゲルマニア帝国かガリア共和国、あるいはブリタンニア連合王国が、魔道士団と自国の軍隊を動かす可能性がある……と考えておくべき情勢ってことでいいんでしょうか?」 見解に食い違いがあってはならないと思ったカイトが質問すると、セルシオは首を横に振った。「全否定はできませんが、各国が軍を動かす可能性は低いでしょう。聖皇陛下がウアイラ卿とトリアイナ魔道士団への断罪を裁定され、刑の執行人を指名するという形をとると思われます」「その場合、刑の執行人に指名されるのは……?」「魔道士が犯した罪に際して、聖皇陛下の裁定を受けて刑の執行人に指名されるのは、罪を犯した魔道士よりも上位の位階を持つ魔道士、というのが慣例となっております。二十一年前に太魔範士であるシーマ卿がセナート帝国の帝位を簒奪した際にも、当時の聖皇陛下がすでに太聖であった唯一の上位位階を持つエルヴァ卿を、刑の執行人として指名したと聞き及んでおります。エルヴァ卿が指名を拒否したために、表向きには聖皇陛下の裁定は下されなかったとされましたが」 聖皇の指名を拒否するなんて不敬も、飄々としたエルヴァならやってのけるんだろうと納得してしまったカイトは、自分がいま立っている立場をあらためて思い知ることになった。「ウアイラ卿は魔範士……それよりも上位の位階、となると……」 すでに予測できてしまったが、自分で明言することは避けたカイトの意を酌んだセルシオが代弁するように答えた。「世界に二十名しか存在しない魔範士の上位となれば、自ずとその対象は六名のみとなります。太聖であるエルヴァ卿、太魔範士であるカイト卿とシーマ卿、英魔範士であるヴァルキュリャ卿、インテンサ卿、トゥアタラ卿。指名を拒否する可能性が高いエルヴァ卿と、ウアイラ卿の後ろ盾となっているシーマ卿を除けば、残るは四名。執行の対象が単独ではなくトリアイナ魔道士団となれば、複数人の指名となるのが濃厚。以上を踏まえ、カイト卿が指名される可能性は極めて高いと思われます」 カイトは椅子の背もたれに寄りかかり、一度だけふうと短く息を吐いた。「俺が指名されたら、受けるべきですよね……」「……危険を伴う難しい判断ではありますが、そうしていただければ対外的なメリットが大きいのは確かです」「ミズガルズ王国の首席魔道士は、お飾りの太魔範士ではなかった対外的に証明で